日記・コラム・つぶやき

2017年5月12日 (金)

とちぎの山・鉾・屋台 - 栃木県立博物館

仕事帰りに、栃木県立博物館の「とちぎの山・鉾・屋台」を見学しました。同博物館も戊辰戦争関連、戸田氏関連と2回見に行き、今回が3回目でしょうか・・・

170509_1018_001_thumb2

エントランスには、烏山の中町の屋台と山
170509_1019_002yamaage_nakamachi_thu

170509_1020_003yamaage_nakamachi2_th

展示では、鹿沼の仲町の屋台が展示されています。
同市の展示館でも見ることができますが、
木彫りの精緻さといったら・・・

170509_1044_008kanuma_nakamachi_thum

170509_1044_006kanuma_nakamachi2_thu

筆者の住む足利にも葉鹿の大きく舞台の突き出た屋台の写真が掲示されていました。

また、本企画展とは、関係ないのですが、織田信長の伝馬朱印状が5月末まで公開されてみることができました。

最近宇都宮での仕事が多いので、興味をひく企画展があるとうれしいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小山市 祇園城跡を歩く

最近、台風やなんやかやで出歩くことも少なく、更新ずるブログの材料がありませんでした。小山市で中小企業の支援を行なっているので、合間を見て、祇園城跡を歩いてみました。

JR小山駅の西の思川沿いにある祇園城は、1148年(久安4年)に小山政光によって築かれました。

鎌倉時代に下野国守護を務めた小山氏の主要な居城で、当初は鷲城の支城であったが、南北朝時代に小山泰朝が居城として以来、小山氏代々の本城となります。

天正4年(1576年)に小山秀綱が北条氏に降伏して開城し、北条氏の手によって改修され、北関東攻略の拠点となり、小田原征伐ののち、1602年(慶長12年)頃、本多正純が相模国玉縄より入封したが、正純が1619年(元和5年)に宇都宮へ移封となることで、祇園城は廃城となります。

城跡は、現在公園になっており、城跡の北東部に無料駐車場があります。ただし、いささか判りづらい。ということで、訪れるひとも少ないようです。市民憩いの場とするならば、整備しないと・・・

 map_gionjho
古地図の祇園城。

駐車場の片隅に紫の祇園城跡の幟が立っており、そこから、城跡へ入ってゆきます。

160907_0934_004

石垣を通りぬけて、虎口跡、塚田曲輪跡等を見てゆきます。画像のとおり、案内の立て看板が掲げられています。

160907_0935_006
虎口跡

160907_0935_008
塚田曲輪跡

橋で堀切をわたると、公園の中心部でしょうか、あずまやとトイレがあります。そこが中曲輪跡。

160907_0936_009

160907_0936_011

160907_0936_013
中曲輪跡

さらに朱色の祇園橋を渡れば、本丸。

160907_0937_014
祇園橋

160907_0938_018
本丸跡

160907_0940_021
二ノ丸跡

160907_0941_022
思川を望む

堀切のみの城跡ですので、観光の目玉にするのは、難しい。とすれば、公園化をきちんとして、市民のための存在として輝かせてほしいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年10月26日 (水)

大沼(下野市)散策

この頃は、小山市周辺に仕事に行っております。小山市の北の下野市羽川に農林水産省ため池百選に選ばれた大沼があります。朝は、地元の方が池周辺をジョギングしています。

161024_0936_001
本来農業ため池で、周囲の堤長1.4km。

161024_0936_002
池の南側に駐車場があり、そちらから池の西側を撮りました。

161024_0936_003
こちらは、池の南側。

161024_0939_007
鴨が気持ちよさそうに泳いでます。

さあ、これから、仕事です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年5月25日 (水)

薩摩藩の錦旗 - 栃木県立博物館

先日、栃木県立博物館で開催中の企画展「宇都宮藩主 戸田氏-その歴史と文芸-」において、幕府軍と官軍による戊辰戦争で、新政府軍が使ったとされる菊の紋章入りの官軍旗二点が展示されていることを新聞で見ました。これは、宇都宮市の宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社で見つかったものとのこと。早速仕事帰りに立ち寄ってみました。

DSCN0205
栃木県立博物館

展示物は、白い絹に墨で菊紋が描かれた「白生絹御紋之旗(しろすずしごもんのはた)」と、紅色の絹に菊紋が入った「菊御紋紅大四半(きくごもんくれないだいしはん)」。白生絹御紋之旗は長さ約三・三メートルで、発見は全国で初めて。菊御紋紅大四半は約一・六メートル四方の大きさで、全国で三例目とのことです。

DSCN0207
企画展パネル

宇都宮といえば、六道の辻で戦いがあり、土方歳三も参戦していたとか・・・。以前その場所は訪れました。官軍、幕府軍両方の墓碑がたっています。(掲載ページは、こちらから)

PK2016052002100072_size0
白生絹御紋之旗

当時、土方歳三もどのような想いで、この錦旗を眼にしたか・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年4月21日 (木)

上三川 白鷺神社へ

最近、上三川で仕事をしているのですが、大通りの北に大きな神社があるので、訪れてみました。白鷺神社です。

日本武尊を祀っているのですが、きれいな名前です。

160411_1015_003

160411_1016_005

社殿の右手に巨大な「平和の剣」が鎮座しています。

160411_1018_008

160411_1018_009

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月13日 (日)

上三川城址を歩く

最近、栃木県中部の上三川町へ足を運んでいます。事業者の住所のそばに上三川城址公園があり、散歩してみました。

160311_1024_009
上三川城址公園入り口

上三川城は、建長元年(1249)から慶長2年(1597)までの350年にわたり存在した中世の平城です。
横田氏、今泉氏が治めていました。現在、城跡が城址公園となっています。

東西90m、南北100mほどの方型の土塁に沿って遊歩道が整備されています。四方に住宅が迫っており、公園内は広いのですが、周りは狭い。

160311_1017_001

160311_1017_003

160311_1018_004

内部の石垣のそばに、上三川七水の銀明水勝姫稲荷神社が祀られています。

160311_1018_005
銀明水の井戸

160311_1019_006
勝姫稲荷神社

1597年、宇都宮氏の後継ぎ問題に豊臣秀吉が介入し、時の上三川城主・今泉高光は秀吉に同調。対立した真岡城主の芳賀高武が上三川城を急襲し、落城しました。その際、気丈にも戦いに加わり、片目に矢を受けて堀に身を投げた高光の妻・勝姫を祀っています。それ以来、堀のどじょうは、片目になっったという「片目のどじょう」の伝説が残っています。

落城に纏わる話は、いろいろありますが、どれも悲しいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年3月 8日 (火)

まんが日本昔ばなしに登場する小山市の千駄塚古墳

3月に入り、県北の支援もひと段落く。
県南、小山市の事業者の支援が始まりました。
時間があり、旧4号線沿いの千駄塚古墳を訪ねてみました。

この古墳は、墳頂の平坦部に浅間神社を祀っており、別名間山古墳とも呼ばれている大形の円墳です。
墳丘の直径は、約70m、高さ約10m、墳丘裾部から約3m立ち上がったところに幅7-8mの平坦な段築面がある二段築成です。
築造年代は正式には不詳ですが、6世紀代のものらしい。

160307_1313_056
千駄塚古墳への上り口

160307_1315_060
頂きの浅間神社

なお、ここを舞台にした昔ばなしがあります。
以下にその「まんが日本昔ばなし 千駄塚」のあらすじを紹介します。

昔、下野の国に、牧の長者という骨董好きな大金持ちが住んでいました。その頃、陸奥の国にも金持ちの商人がいて、荷物を運ぶ途中、長者の屋敷に一晩泊めてもらうことになりました。長者と商人は、お互いが好きな骨董の話をしました。

すると、長者が持っている「にわとりの掛け軸」の話になったのですが、それは巨勢金岡(こぜのかなおか)が描いた作品で、夜明けになると、そのにわとりが鳴く、ふしぎな掛け軸でした。そんな話を信じられない商人は、その話が本当かどうか、商人の荷物で賭けをすることにしました。

しかし商人の予想は外れ、翌朝ににわとりの鳴く声が聞こえました。商人は、約束通り千駄(千頭の馬)の荷物である蝋(ろうそくのロウ)を牧の長者に与えて、陸奥の国へ帰ってゆきました。

その後数日経って、再び商人が千駄の荷物を持って長者のもとを訪れました。「もう一度、にわとりが鳴くかどうか、この千駄の荷物と賭けをしたい」と申し出た商人に対して、長者は快く賭けを受けました。その晩、商人はこっそりと掛け軸のにわとりの首に、釣り針を刺しておきました。翌朝、にわとりは鳴くことができず、賭けに勝った商人は荷物を取り返し、代わりに馬に乗せてきたかわらけを置いて帰ってゆきました。

長者は、商人が去った後ににわとりの首に傷跡を見つけ、商人の仕組んだことに気がつきました。「つまらない賭けをしたばかりに、にわとりにかわいそうなことをした」、と後悔した長者は、商人が残していったかわらけで小高い塚を築いたそうです。その後、その塚は、「千駄塚」と呼ばれるようになったそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月27日 (土)

喜連川つれづれ Vol.3

本掲載も3回目で終了です。当地の企業の支援も完了。

最終回は、まず「わいわい広場」の駐車場にクルマを停めて
御用堀へ。御用堀は、案内板によると、名君といわれる喜連川藩十代藩主が、飢饉や大火から領民を守るため町中どこでも用水が使えるよう生活用水の確保を目的に、一八四ニ年(天保十三年)、町を挟む両河川(内川・荒川)から町内に水を引き入れる用水堀を開削し生活用水、灌漑用水・防火用水としたそうです。

160225_1228_002

さらにその先の喜連川神社にも行ってみました。裏手から入り、通りにでてきました。参道の石段の両脇の大木が・・・

160225_1231_009

160225_1235_014

そして、市のシンボルでもあるお丸山公園の下へ。話に聞くと、5年前の東日本大震災と昨年の水害でタワー、温泉施設等、壊滅状態で現在復旧工事中とのことです。

160225_1243_017

喜連川温泉の観光スポットとして造られたようですが、これで集客するのは難しそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年2月 9日 (火)

喜連川つれづれ Vol.2

喜連川には、喜連川温泉という日本三大美肌の湯が沸いています。

従って喜連川の町の入り口には、「喜連川温泉」と記されたゲートがあります。往年の感じですね。

160208_1119_001

温泉は、町のあちこちに分散しています。
今回は、いつも寄る「道の駅きつれがわ」で喜連川温泉初体験です。泉質は、ナトリウム塩化物泉(弱アルカリ性高温泉)。ということで、舐めると塩辛く、少しぬるっとした感じです。でも良い温泉だと思います。

160208_1123_002

温泉で町おこしができると良いのですが、栃木や群馬は温泉が多く、プラスアルファがないと難しい。管理人の住む足利にもゆかりがあるのですが、歴史で売り込むのも若干マイナーです。ということで、町でも考えあぐねているかもしれませんね。

160208_1237_003

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月29日 (金)

喜連川つれづれ vol.1

この冬も仕事で県北へ。今年は、さくら市喜連川。
合間を見て、史跡をつれづれに歩き、紹介します。

喜連川といえば、お丸山公園に町のシンボルのスカイタワーが建っています。現在工事中らしく、入ることができないそうで、遠望です。

CIMG1462

喜連川といえば、筆者の住む足利市ともゆかりが深い。
Wikipediaによると、足利尊氏の次男で室町将軍代理家だった鎌倉公方の足利基氏を祖とし、鎌倉公方が古河に移転後、小弓公方系足利氏が直接の祖にあたるそうです。豊臣秀吉からこの地に所領を扶持された際に喜連川氏を苗字としたのが興りです。
ということで、その足利家歴代の墓のある龍光院へ。

2週間前に雪が降り、道端に残っています。
CIMG1463

山門に向かう左手に道祖神が立っています。どこかで見覚えがあるお顔立ち。そうです。安曇野の「水色の時」の道祖神そっくり。
CIMG1464

こちらが安曇野の「水色の時」道祖神。似ているのは、右側。
150511_1514_088

山門の先の本堂。
CIMG1465

その左に足利家歴代の墓所があります。こちらも門があり、土塁で巡らされた場所に十四代にわたり、五十四基の石塔が立っています。
CIMG1467

CIMG1468

つづく

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧