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2015年11月29日 (日)

木枯し紋次郎 Vol.18 「念仏は五度まで」

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舞台:下諏訪道蔦木
演出:安田公義 共演:赤座美代子、長谷川明男

ちゃんとした明日がある人間に限って、
今日の命を粗末にしたがるのだ。

明日があるという保証もない紋次郎だが、
何としても今日だけは生き抜こうとする。まるで、逆であった。
命が惜しいわけでもない。死ぬときがきたら、いつでも死ぬという覚悟もできている。
だからこそ、生きようと努めるのだ。同時に明日のない身で、
今日を全うしようとすることが、ひどく空しいのであった。


今回、冒頭の文言はセリフではありません。原作の本文中の説明です。ということで、今回は、テレビドラマからではなく、笹沢佐保原作の小説が出典です。

これは紋次郎の生き方の原点ですが、いつもの虚無的な姿勢に終始せず、命を大切にしていることがわかります。

奈良の元薬師寺管長で、「」、「己に克つ」等の著書のある高田好胤の語る、明日があると思わず、その一瞬一瞬を真剣に生きるということに通じます。

ともすると、私たちは当然のように明日があると信じて、
日々を生きてしまいがちです。
しかし、実は明日はわからないです。
だからこそ、いまこのときを大切に、精いっぱい生きるということです。

本作のタイトルは、「念仏は五度まで」。
これは、盲目のやくざ一ノ沢の彦三郎(長谷川明男)が殺害した、
別れた女房を弄んだ男四人、そしてその女房を含めた五人という人数に依っています。

この頃になると、タイトルも観念的になってきて、
なかなかタイトルから、その内容を推測するのが難しい。
さらにテレビドラマを観終わった後、または小説を読み終わった後、
タイトルの意味を考えてしまいます。

霧雨に二度哭いた」、「四つの峠に日が沈む」、「雷神が二度吼えた」、「賽を二度振る急ぎ旅」、「四度渡った泪橋」・・・

ちなみに殺害された女房のお藤を演じた赤座美代子は、本シリーズ再登板です。
そして、シリーズ第3期の第1作「霧雨に二度哭いた」を監督した藤田敏八の元妻でもあります。

本作の安田公義監督は、大映で座頭市シリーズ眠狂四郎シリーズを撮り、市川雷蔵の遺作「博徒一代 血祭り不動」の監督でもありました。

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