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2015年10月

2015年10月31日 (土)

木枯し紋次郎 Vol.17 「霧雨に二度哭いた」

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舞台:中山道沓掛
演出:藤田敏八 共演:萩尾みどり、目黒祐樹

「あっしには、云い訳はござんせん」

さて、紋次郎の決めセリフといえば、
「あっしには関わりのねえことでござんす」
ですが、第3シリーズの1作目のラストは、このセリフです。
ちなみに原作でもこのセリフは使われていました。

世の中、自分を正当化するために云い分けをするひとがいます。
人間、少なからず自分が可愛いし、自分が全てでもあるので、
その傾向があるのは当然です。
あなたは決して悪くはないのよ、なんてことをいうのは、
子供を甘やかす親くらいなもので、云い訳をしたところで、
それを誰も真に受けて、庇ってくれるわけでもありません。

年老いて、例えば水道の水が出しっぱなしを注意すれば、
”わたしは知らない”、”そんな筈はない”、
すべて云い訳をするひとがいます。あなたがしなければ、誰がするのか!
普段から云い分けをする癖は、年老いてなお、エスカレートします。

とにかく素直に非を認めてしまうほうが好感がもたれます。
さらに、云い分けをしない生き方のほうが潔い。
意識してそんな生き方をしましょう。

テレビ放映の紋次郎も第2シリーズ終了の1973年3月から、
第3シリーズ開始の1977年10月まで、
5年弱の間隔がありました。その間、原作も回を重ねてします。
放映するテレビ局もフジテレビから東京12チャンネルへ。
それまで冠してした”市川崑劇場”のタイトルも消え、
新しい船出となりました。

なお、本作の監督は藤田敏八。
日活末期の名作「八月の濡れた砂」(1971)で注目を浴び、
日活ロマンポルノでも数々の秀作を作り、
本作の翌年、青春映画の名作「帰らざる日々」(1978)を生み出しました。
そして本作で時代劇初めての演出でしたが、なかなか良かったと思います。

また新シリーズのタイトルバックは、大林宣彦監督ということで、
当時彼が作った映画「ハウス」(1977)の感覚です。
当時としては斬新だったかもしれませんが、
旧シリーズのほうが情緒がありました。
宿場、街道といった風景も紋次郎に劣らず主人公でした。

また、この作品で初めて紋次郎は地元の貸元のところに草鞋を脱ぎます。
いままでそんなことはなかったのですが、
テレビ版のみを見ていると、
経過した歳月で紋次郎にも変化があったように感じられます。
しかし、原作はシリーズには分かれていませんので、
ときにはそういうこともあったという理解です。

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2015年10月 6日 (火)

木枯し紋次郎 Vol.16 「雪に花散る奥州路」

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演出:土屋敬之助 共演:大林丈史、松村達雄

「あっしの旅には、終りはねえものと思っておりやす。
てめえでてめえの寿命を判じられねえ渡世でござんす。
今日まで生きてきたからって、
明日の命があるとは限りやせん。
明日も生きてえと思うようになりゃ、
今日無様に生きのびることを考えるようになりやす」

雪の山道でイノシシに襲われ倒れていた紋次郎は、奥州街道の野州越堀の仁五郎親分の娘の絹に救われる。
喘息もちの親分に、旅の渡世人もいつかは旅を終えなくてはならない、そのとき自分の跡目を継ぐことを懇願された。
そのときのセリフです。いつもの紋次郎の死生観。

タイトルを見てわかるように街道シリーズ「雪に花散る奥州路」に
収められた表題作です。
原作の主人公の渡世人である二本桐の武吉を紋次郎に置き換えています。
上記のセリフは、原作では説明しています。

以前の回にも語ったことがあるかと思いますが、明日もあると思わず、今日できることは今日済ませてしまう。
それを信条に仕事に向かうと、惰性でない生き方ができます。

とは云っても、残業してもその日のうちには片付かない仕事もあります。
それはしかたありませんので、処理スケジュールを作りましょう。
そのときのポイント。
余裕をもったスケジュールにすること。
計画が達成できないことがストレスになってしまいます。
逆にスケジュールより先行できることで余裕が生まれ、精神的にもよい。

ついでながら、複数の仕事を抱えてしまったときのポイント。
重要度より難易度(とくに時間)を基準として、
時間面で早くかたづけられる仕事から着手します。
仕事の数の面からも次々と処理され減ってゆくので、
精神的にゆとりが生まれ、ミスも減ります。
ぜひお試しあれ。

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