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2015年6月27日 (土)

木枯し紋次郎 Vol.13 「暁の追分に立つ」

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舞台:木曽街道妻籠
演出:真船禎 共演:渡辺美佐子、横山リエ

「明日のねえあっしに、思い出す昔なんかござんせんよ」

木曽路の旅先で出会ったお梶(渡辺美佐子)に昔のよしみで
老やくざの与三郎殺しを依頼され、紋次郎が当然のように断った後のセリフです。これは名セリフ。

過去を想い出し、あれこれ考えてもしかたがない。
成功した過去を想い出しても有頂天、失敗した過去を想い出しても反省。
いずれにしても将来に向かって役立てようとしても、そう意味がない。
素直に前をみて生きることが大事。

巌流島の決闘で有名な剣聖 宮本武蔵も後年「五輪書」の中で云っています。

”われごとにおいて後悔せず”

自分の成してきたことの中には必ず後悔することもあるはず、
しかし、そこで後悔し反省したとしても過ぎ去った時は戻らない。
過去のことに後悔しないように生きることがベストですが、何事にも自分が成してきたことなので後悔しないと、自分に云い聞かせて処世するのも、うまい生き方だと思いませんか。

ちなみに原作では、
「明日もねえ者に、思い出す昨日があろうはずはありやせん」
となっています。テレビのほうがキレがあるセリフです。
しかし、原作は、過去に対する紋次郎の思いを説明やセリフで
多く語っています。


”人は、何のために生きているのか。死ぬ日が来るのを待って、生きている。
少なくとも、紋次郎はそうであった。
人間には、生きるか死ぬかのどちらかしかない。
両方避けることも不可能だし、二股かけることもまたできないのだ。
生きるか、死ぬか。
人は常に、その追分に立たされているようなものだった。
死ぬからどうの、生きるからああだのと、
騒ぐほうがどうかしているのであった。
ただ紋次郎としても言えるのは、死ぬ者より生きる者のほうが
優先するということだけだった。”

また、殺しを依頼した与三郎が実の父であることを知って、お梶に向かって、

「明日も知らねえ者に、昨日があるはずはねえって。
・・・
おめえさんには明日があるっていうのに、昨日のことばかり、
いや遠くすぎ去ったことばかり考えていなさる
・・・
すぎたことは、何もなかったことと同じでござんすよ」

そして、別れ際に、
「あっしは、振り返ることが嫌いでござんしてね。
所詮は、すぎたことで・・・」

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