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2013年4月 7日 (日)

桜満開の中山道 - 安中、板鼻

桜満開の中山道 上州路。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公の夫となる新島襄の出身地である安中も脚光を浴びています。

ということで、中山道の宿場であった安中、板鼻を巡ってみました。
国道18号線の南側を旧中山道が通っています。
細い道を南に入ってゆくと、萱葺きの新島襄旧宅が保存されています。
米国から帰国した1874年に3週間ほど滞在したといいます。
八重も4回ほど訪れました。

新島襄旧宅
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満開の桜の花びらが広縁に舞い散り、職員の方が掃いています。
その方に説明していただきました。
もともとは、現在地より50m東にあったものを移築したそうです。
同じような二軒長屋があり、
廃藩置県後、安中藩藩士が江戸から戻った際の宿舎としていたそうです。

桜花 降り注ぐ 萱の屋

上段の間
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西側の部屋は、新築し、資料室となっています。

資料室
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続いて訪れたのは、旧碓氷郡役所。
大河ドラマ「新島襄・八重子」展開催中です。
こちらも職員の方が親切で、本日50人くらい訪れているそうです。

旧碓氷郡役所
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その隣に安中教会。
新島襄のキリスト教の説教で影響を受けた人により、
初めて日本人の手で創立した教会です。
予約制のため、内部は見学できませんでした。
庭に咲く桜、しだれ桜がきれいでした。

枝垂れ桜 異教の里に 人知あり

安中教会
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さらに西に歩くと、
曲がり屋の藩奉行役宅、武家長屋が復元されています。

旧藩の 武士(もののふ)たちの息吹 花のごと散る

藩奉行役宅(復元)
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武家長屋(復元)
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さて、安中を後にし、板鼻へ向かいます。
国道18号 岩井交差点の北に、
板鼻宿本陣跡(現在、板鼻公民館)があります。

公民館の北側に板鼻宿本陣であった木島家の一部が保存されています。外観は新築したものですが、内部の上段の間、下段の間が当時の姿を残しています。
ここは、公民館に申し出て、職員の方と一緒に見学です。
こちらの職員の方にも丁寧に説明していただき恐縮でした。

皇女和宮は、5歳の時に有栖川宮熾仁親王と許嫁だったのですが、 公武合体ため政略結婚させられることになります。
その折に歌われた歌です。彼女の心情が表れています。

惜しまじな 君と民とのためならば 身は武蔵野の 露と消ゆとも

文久元年(1861年)、
徳川家茂に嫁するために京都から江戸に向かいます。
行列は、3万人にも及ぶ大行列だったといいます。
11月10日、板鼻宿本陣に宿泊します。
その視界から民百姓の姿を排除したり、旅人の通行を禁じたり、
道には砂利を敷いたり、大変だった。

 板鼻本陣跡
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建物内部に上段、下段の間が保存されています。
和宮は、この部屋に泊まり、ここで初潮を迎えました。
16歳でした。

部屋には、和宮が履いた小さな紅白の草履、
料理に使ったまな板等が展示されています。

上段の間
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京都を発って約2カ月、11月15日に江戸に到着し、
文久2年、婚儀が挙行されます。家茂、和宮ともに17歳でした。
その5年後、家茂死去。さらに孝明天皇崩御。
そして、戊辰戦争が始まり、会津の悲劇が始まります。

道を往く 皇女の姿 書院の影

用水の 流れも時と 皇女の思い

一昨年の東日本の震災後に埼玉県大宮市で「皇女和宮と中山道」展が開催されており、それを訪ねた日記は、以前このブログでも公開しましたが、幕末の中で生きた人々の悲劇に心が揺さぶられます。

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