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2010年3月12日 (金)

◆自分の命 - 二代目はクリスチャン

「マルコ伝8章35節の言葉、
自分の命を救うものは、それを失い、
自分の命を失うものは、それを救うであろう。

うちの若いもんが、誰かに殺られた場合、
自分の命を投げ打つ覚悟で仇を討つと・・・。
やくざもキリストも"仁義"というところで繋がっている」

chrischan

「二代目はクリスチャン」1985年。監督 井筒和幸。脚本 つかこうへい。出演 志穂美悦子、柄本明、蟹江敬三、岩城晃一、北大路欣也。

本作品は、つかこうへいの脚本をもとにした角川映画です。
角川映画は、1980年代に一世を風靡しましたね。
そんな中の一編であり、東映作品ではないのですが、
出演者の顔ぶれがほぼ東映俳優ですし、
筆者も好きな作品ですので、とりあげました。

神戸の聖サフラン教会のシスター今日子(志穂美悦子)を巡り、
やくざ天竜組二代目の天竜晴彦(岩城晃一)、
刑事の神代(柄本明)の恋のかけひきの前半から、
今日子と結婚した晴彦が殺害された後、
天竜組二代目を継ぐことになる今日子が
日本刀を片手に黒岩組(室田日出男)に殴り込みにゆく、
後半のカタルシス・・・。
1960年代の東映任侠映画の原則に則りつつも、
新鮮さも付加しています。

教会の財政が苦しくなり、それを救おうと、
バザーに参加した天竜らは、教会で賭場を開きます。
そこで天竜組代貸の磯村(蟹江敬三)が今日子に云うセリフです。

マルコ伝の言葉の解釈は、難しい。

実は、原文には「キリストのため」、また「福音のため」と
いう文言が付与されています。
「命を無私、または犠牲的に捧げても空しいだけで意味がない。
意味あることにこそ身を捧げなさい。
そして、意味あるものはキリストだけです」
、と主は言う。そんな意味でしょうか。

その文言を切り捨てて、自己犠牲の上に他を活かす、
といったふうに読み換えています。

マルコ伝の言葉をそのままやくざ渡世の仁義と同化させています。
ビジネスでは、通用しにくいかもしれません。

しかし、人生においては、自己のみでなく、
他をも顧みることで自己も活かされるという場合があります。
そんなふうに自身を活かしてゆくという生き方をすると
どんなことがあっても救われるのでは、ないでしょうか。

生きてゆくうえで、他人のためにしなくてはならないこともあります。
そういうこともきちんとこなしてゆくことで、
やがて巡り巡って、自分に幸いとなり、戻ってきます。
そんなふうに読んでみましょう。

今回はセリフの解釈もマルコ伝の解釈も難しいですね。

ラスト、子分も次々と殺され、
何故か教会に飾られている日本刀を今日子は手にし、
黒岩組に殴り込みにゆきます。
そこに立ちはだかる黒岩組の客分の英二(北大路欣也)。
黒岩組への義理で、その場に立つ彼は、人の斬り方を彼女に伝授し、自身の腹を切らせ、彼女を通します。

黒岩組に踏み込み、シスター今日子は、啖呵一発!
「てめぇら、悔い改めてぇやつは、十字を切れ!
でねぇと、たたっ斬るぞ」

主演の志穂美悦子は、東映が任侠から実録に移り、
空手ブームに乗って登場し、スターになりました。
それはそれなりにグッドタイミングだったのでしょうが、
任侠の時代に登場していたら、どのような役を演じられたでしょうか。
結構面白かったのでは、とも思ったりします。

いずれにしろ、本作品は、彼女のシスター姿、ウェディングドレス姿、
そして日本刀での立ち回りとファンにはたまらない作品です。

また、近頃、テレビのコメンテーターとして出演することが多い、
井筒監督ですが、筆者は、この作品が同監督のベストと思っています。

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