2016年11月27日 (日)

小山市立博物館、乙女不動原瓦窯跡

最近、小山市の中小企業の支援が多く、同市の博物館で企画展「幕末維新期の点描」が開催されているのを機に立ち寄ってみました。幕末期の小山の様子を示す関連資料が展示されていました。官軍の大鳥圭介らが江戸から、北上し、この小山でも戦っているのですね。次は、安塚、宇都宮と官軍、幕府軍は転戦し、会津に向かいます。宇都宮では、土方歳三が戦った六道の辻には、以前行ってみたことがあり、本ブログにも掲載しました。

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小山市立博物館

すぐ隣には、下野薬師寺、国分寺などの瓦を焼いていた窯跡が公園となって整備されています。

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史跡乙女不動原瓦窯跡

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工房跡

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2016年10月26日 (水)

大沼(下野市)散策

この頃は、小山市周辺に仕事に行っております。小山市の北の下野市羽川に農林水産省ため池百選に選ばれた大沼があります。朝は、地元の方が池周辺をジョギングしています。

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本来農業ため池で、周囲の堤長1.4km。

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池の南側に駐車場があり、そちらから池の西側を撮りました。

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こちらは、池の南側。

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鴨が気持ちよさそうに泳いでます。

さあ、これから、仕事です。

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2016年5月25日 (水)

薩摩藩の錦旗 - 栃木県立博物館

先日、栃木県立博物館で開催中の企画展「宇都宮藩主 戸田氏-その歴史と文芸-」において、幕府軍と官軍による戊辰戦争で、新政府軍が使ったとされる菊の紋章入りの官軍旗二点が展示されていることを新聞で見ました。これは、宇都宮市の宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社で見つかったものとのこと。早速仕事帰りに立ち寄ってみました。

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栃木県立博物館

展示物は、白い絹に墨で菊紋が描かれた「白生絹御紋之旗(しろすずしごもんのはた)」と、紅色の絹に菊紋が入った「菊御紋紅大四半(きくごもんくれないだいしはん)」。白生絹御紋之旗は長さ約三・三メートルで、発見は全国で初めて。菊御紋紅大四半は約一・六メートル四方の大きさで、全国で三例目とのことです。

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企画展パネル

宇都宮といえば、六道の辻で戦いがあり、土方歳三も参戦していたとか・・・。以前その場所は訪れました。官軍、幕府軍両方の墓碑がたっています。(掲載ページは、こちらから)

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白生絹御紋之旗

当時、土方歳三もどのような想いで、この錦旗を眼にしたか・・・

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2016年4月21日 (木)

上三川 白鷺神社へ

最近、上三川で仕事をしているのですが、大通りの北に大きな神社があるので、訪れてみました。白鷺神社です。

日本武尊を祀っているのですが、きれいな名前です。

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社殿の右手に巨大な「平和の剣」が鎮座しています。

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2016年3月13日 (日)

上三川城址を歩く

最近、栃木県中部の上三川町へ足を運んでいます。事業者の住所のそばに上三川城址公園があり、散歩してみました。

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上三川城址公園入り口

上三川城は、建長元年(1249)から慶長2年(1597)までの350年にわたり存在した中世の平城です。
横田氏、今泉氏が治めていました。現在、城跡が城址公園となっています。

東西90m、南北100mほどの方型の土塁に沿って遊歩道が整備されています。四方に住宅が迫っており、公園内は広いのですが、周りは狭い。

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内部の石垣のそばに、上三川七水の銀明水勝姫稲荷神社が祀られています。

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銀明水の井戸

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勝姫稲荷神社

1597年、宇都宮氏の後継ぎ問題に豊臣秀吉が介入し、時の上三川城主・今泉高光は秀吉に同調。対立した真岡城主の芳賀高武が上三川城を急襲し、落城しました。その際、気丈にも戦いに加わり、片目に矢を受けて堀に身を投げた高光の妻・勝姫を祀っています。それ以来、堀のどじょうは、片目になっったという「片目のどじょう」の伝説が残っています。

落城に纏わる話は、いろいろありますが、どれも悲しいですね。

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2016年3月 8日 (火)

まんが日本昔ばなしに登場する小山市の千駄塚古墳

3月に入り、県北の支援もひと段落く。
県南、小山市の事業者の支援が始まりました。
時間があり、旧4号線沿いの千駄塚古墳を訪ねてみました。

この古墳は、墳頂の平坦部に浅間神社を祀っており、別名間山古墳とも呼ばれている大形の円墳です。
墳丘の直径は、約70m、高さ約10m、墳丘裾部から約3m立ち上がったところに幅7-8mの平坦な段築面がある二段築成です。
築造年代は正式には不詳ですが、6世紀代のものらしい。

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千駄塚古墳への上り口

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頂きの浅間神社

なお、ここを舞台にした昔ばなしがあります。
以下にその「まんが日本昔ばなし 千駄塚」のあらすじを紹介します。

昔、下野の国に、牧の長者という骨董好きな大金持ちが住んでいました。その頃、陸奥の国にも金持ちの商人がいて、荷物を運ぶ途中、長者の屋敷に一晩泊めてもらうことになりました。長者と商人は、お互いが好きな骨董の話をしました。

すると、長者が持っている「にわとりの掛け軸」の話になったのですが、それは巨勢金岡(こぜのかなおか)が描いた作品で、夜明けになると、そのにわとりが鳴く、ふしぎな掛け軸でした。そんな話を信じられない商人は、その話が本当かどうか、商人の荷物で賭けをすることにしました。

しかし商人の予想は外れ、翌朝ににわとりの鳴く声が聞こえました。商人は、約束通り千駄(千頭の馬)の荷物である蝋(ろうそくのロウ)を牧の長者に与えて、陸奥の国へ帰ってゆきました。

その後数日経って、再び商人が千駄の荷物を持って長者のもとを訪れました。「もう一度、にわとりが鳴くかどうか、この千駄の荷物と賭けをしたい」と申し出た商人に対して、長者は快く賭けを受けました。その晩、商人はこっそりと掛け軸のにわとりの首に、釣り針を刺しておきました。翌朝、にわとりは鳴くことができず、賭けに勝った商人は荷物を取り返し、代わりに馬に乗せてきたかわらけを置いて帰ってゆきました。

長者は、商人が去った後ににわとりの首に傷跡を見つけ、商人の仕組んだことに気がつきました。「つまらない賭けをしたばかりに、にわとりにかわいそうなことをした」、と後悔した長者は、商人が残していったかわらけで小高い塚を築いたそうです。その後、その塚は、「千駄塚」と呼ばれるようになったそうです。

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2016年2月27日 (土)

喜連川つれづれ Vol.3

本掲載も3回目で終了です。当地の企業の支援も完了。

最終回は、まず「わいわい広場」の駐車場にクルマを停めて
御用堀へ。御用堀は、案内板によると、名君といわれる喜連川藩十代藩主が、飢饉や大火から領民を守るため町中どこでも用水が使えるよう生活用水の確保を目的に、一八四ニ年(天保十三年)、町を挟む両河川(内川・荒川)から町内に水を引き入れる用水堀を開削し生活用水、灌漑用水・防火用水としたそうです。

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さらにその先の喜連川神社にも行ってみました。裏手から入り、通りにでてきました。参道の石段の両脇の大木が・・・

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そして、市のシンボルでもあるお丸山公園の下へ。話に聞くと、5年前の東日本大震災と昨年の水害でタワー、温泉施設等、壊滅状態で現在復旧工事中とのことです。

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喜連川温泉の観光スポットとして造られたようですが、これで集客するのは難しそうです。

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2016年2月 9日 (火)

喜連川つれづれ Vol.2

喜連川には、喜連川温泉という日本三大美肌の湯が沸いています。

従って喜連川の町の入り口には、「喜連川温泉」と記されたゲートがあります。往年の感じですね。

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温泉は、町のあちこちに分散しています。
今回は、いつも寄る「道の駅きつれがわ」で喜連川温泉初体験です。泉質は、ナトリウム塩化物泉(弱アルカリ性高温泉)。ということで、舐めると塩辛く、少しぬるっとした感じです。でも良い温泉だと思います。

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温泉で町おこしができると良いのですが、栃木や群馬は温泉が多く、プラスアルファがないと難しい。管理人の住む足利にもゆかりがあるのですが、歴史で売り込むのも若干マイナーです。ということで、町でも考えあぐねているかもしれませんね。

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2016年1月30日 (土)

木枯し紋次郎 Vol.20 参考文献

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今回は、本掲載をするにあたり、皆さんの参考までに出典を整理しておきます。
ただし、残念ながら、絶版になった作品もありますが、ぜひ小説も読んでみてください。
ちなみに筆者は、この機会に原作を再読しました。

◆小説(笹沢佐保 原作)
--- 木枯し紋次郎シリーズ 全15巻
赦免花は散った 1973    角川文庫
女人講の闇を裂く 1973    角川文庫
六地蔵の影を斬る  1973    角川文庫
無縁仏に明日を見た 1983    富士見書房
夜泣石は霧に濡れた 1997    光文社文庫
上州新田郡三日月村   1997    光文社文庫
木枯しは三度吹く 1997    光文社文庫
命は一度捨てるもの 1997    光文社文庫
三途の川は独りで渡れ 1997    光文社文庫
虚空に賭けた賽一つ 1997    光文社文庫
お百度に心で詫びた紋次郎 1984    富士見書房
奥州路七日の疾走 1997    光文社文庫
人斬りに紋日は暮れた 1985    富士見書房
女の向こうは一本道 1998    光文社文庫
さらば峠の紋次郎 1998    光文社文庫

--- 峠シリーズ
見返り峠の落日 1973    角川文庫

--- 街道シリーズ
裏切り街道 1990    祥伝社文庫
地獄街道 1990    祥伝社文庫

◆その他
紋次郎も鬼平も犬神家もこうしてできた
    2008    日本放送出版協会
木枯し紋次郎 DVD BOOK 1972第1シリーズ編
2012    辰巳出版
解説本ですが、「川留めの水は濁った」、「流れ舟は帰らず」の市川崑演出の2作品、テレビ予告編のDVDが付いています。おトクです!

なお、『木枯し紋次郎と歩く!背を陽に向けたビジネス道』は、今回で終了となります。ご愛読ありがとうございました。

次の連載も今後検討予定です。ご期待ください。

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2016年1月29日 (金)

喜連川つれづれ vol.1

この冬も仕事で県北へ。今年は、さくら市喜連川。
合間を見て、史跡をつれづれに歩き、紹介します。

喜連川といえば、お丸山公園に町のシンボルのスカイタワーが建っています。現在工事中らしく、入ることができないそうで、遠望です。

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喜連川といえば、筆者の住む足利市ともゆかりが深い。
Wikipediaによると、足利尊氏の次男で室町将軍代理家だった鎌倉公方の足利基氏を祖とし、鎌倉公方が古河に移転後、小弓公方系足利氏が直接の祖にあたるそうです。豊臣秀吉からこの地に所領を扶持された際に喜連川氏を苗字としたのが興りです。
ということで、その足利家歴代の墓のある龍光院へ。

2週間前に雪が降り、道端に残っています。
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山門に向かう左手に道祖神が立っています。どこかで見覚えがあるお顔立ち。そうです。安曇野の「水色の時」の道祖神そっくり。
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こちらが安曇野の「水色の時」道祖神。似ているのは、右側。
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山門の先の本堂。
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その左に足利家歴代の墓所があります。こちらも門があり、土塁で巡らされた場所に十四代にわたり、五十四基の石塔が立っています。
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つづく

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