東京出張で雨の玉川上水
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赤不動の親方
「お前さん、いくつじゃ」
緋牡丹お竜
「二十三ですばい」
赤不動の親方
「二十三か。
お前さんがわしの歳になる頃は、わしはもうこの世に
おらんけんの。それが順番ちゅうもんじゃろうが。
新しいもんがでてくれば、古いもんは消える。
・・・
じゃが、若えもんは、違う。
・・・」
「緋牡丹博徒 二代目襲名」(第4作)1969年。監督 小沢茂弘。
脚本 鈴木則文。出演 藤純子、高倉健、長門裕之。
本シリーズは、原則としてオリジナル脚本なのですが、本作のみ原作があります。
原作は、火野葦平の「女侠一代」。従って、シリーズの異色作です。
九州 遠賀川を舞台に、鉄道工事を請け負った矢野組(お竜の組)と
その権利を横取りしようとする荒木田組、さらには鉄道ができることで仕事を失う川船頭の赤不動がからみます。
鉄道工事を叔父の死により引き継ぐことになったお竜(藤純子)は、
川船頭の赤不動の親方と対立しますが、彼女の誠意に折れる
赤不動の親方のセリフです。
時代が移り変わり、人も移り変わる。
先代の人は次代の人にうまく次代をつないでゆく使命をもっています。
企業においては、これから企業を背負う若いひとたちに、
技術や実績等をひきついでゆかなければなりません。
そのためには、あるときは自身を犠牲にすることも必要です。
ある年齢に達したら、自己中心の欲望(出世欲や金銭欲)を抑え、
大儀に生きることもしなければなりません。
そんなことを忘れた企業人も多くいます。
忘れたというよりも気がつかないのでしょうが・・・
みなさん、いかがでしょうか・・・
また、赤不動の親方と監獄兄弟だった流れ者 八代英治(高倉健)、
彼と同郷の半次と夫婦になった雪枝の人生模様が伏線で語られます。
最後にお竜が雪枝に語る女の幸せについてのセリフ。
「わたし、女でありながら、こぎゃん稼業におるからこそ、
よけい思うとよ。女の幸せは、こん世で出会った
いちばん好きな人と添い遂げることよ。
どぎゃん仕事であっても、ふたりで一緒に暮らすことが
できれば、それがいちばん幸せっていうもんじゃないかしら」
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「不動の、おらあ、こんな汚ねえ渡世に何んの未練もねえんだ。
俺のことは、気にしなくていいんだぜ」
「日本やくざ伝 総長への道」1971年。監督 マキノ雅弘。脚本 高田宏治。出演 高倉健、鶴田浩二、、若山富三郎、野川由美子。
どぶ辰(遠藤辰夫)一家の代貸 河合巳之吉(鶴田浩二)と高崎前田一家の代貸の不動竜太郎(高倉健)が、橋のうえで顔をあわせた折に、巳之吉は、云います。
「おめえさんとは、嫌なことは起こしたくねえ」
ところが渡世の義理から、竜太郎はどぶ辰一家へ殴りこみに行きます。しかし、そこで待っていたのは、巳之吉。
渡世の義理から、ふたりは斬り合うことになります。
珍しい、高倉健と鶴田浩二の一騎打ちです。
ふたりの果し合い中、ドスを交えている後ろから、竜太郎は斬りかかられてしまいます。
その後に瀕死の状態の巳之吉がこときれる前に語るセリフです。
先のセリフは竜太郎に、後のセリフはどぶ辰に向かったものです。
鶴田浩二らしいセリフまわしが絶妙です。
竜太郎は、もろ肌脱いで、背の不動明王の刺青をあらわに立ち向かってゆきます。
そこに兄弟分の若山富三郎が登場する、というラストシーンです。
高倉健と鶴田浩二の男同士の信頼関係、高倉健と若山富三郎、野川由美子をめぐる三角関係、盛りだくさんのマキノ雅弘の世界が展開します。
しかし、任侠映画も末期の時期であり、シリーズ化が計画されていたものの、この一作で終わってしまいました。
人の生きる道、正しい道を生きてゆかなければならない。
当たり前のことを特殊な世界を借りて語るのが、やくざ映画です。
こんなセリフもあります。
野川由美子が高倉健に向かって云うセリフですが、
まさにマキノ雅弘の世界です。
「女ってものはねぇ、思いつめて、好きよって、
それが通らなくなると、そのひとが憎くなるものよ。
竜太郎さん、あんたが憎い、悔しい・・・
憎めないじゃないの・・・」
本作の後、任侠の名花 藤純子の引退も続き、任侠映画は終焉を迎え、代わって実録映画の時代へと移ってゆきます。
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「行ってしまったんやなあ。
おなごいうものは、いつも待つばかりや」
「極道」1968年。監督 山下耕作。脚本 鳥居元宏、松本功。
出演 若山富三郎、鶴田浩二、大木実、菅原文太、清川虹子。
新東宝、東映、大映と映画会社を移った若山富三郎の東映復帰後の主演第1作です。
東映に戻った彼は、仁侠映画の金字塔である「博奕打ち 総長賭博」で鶴田浩二の兄貴分の役で認められ、主演をつとめることになった第1作です。
その後も東映任侠映画の一翼を担い、任侠映画を盛り上げた役者だと思います。
「緋牡丹博徒」シリーズでお竜さんを慕い、
ことあるごとに手助けするチョビひげの熊虎親分などは絶品であり、
仁侠映画に厚みを加えたと思います。
ということで彼の主演作品も、ぜひとも挙げておきたっかたので、
この作品の登場です。
しかし、上記のセリフは、彼の女房役の清川虹子が殴り込みにゆく
彼を見送りながら、云うものです。
東映の任侠映画では、結構女性の生き方も語っています。
とくに「緋牡丹博徒」シリーズが顕著ですが・・・
古来からの女性は家を守るものという考え方を示していますが、
そう云いつつ、若山親分が財産を失ってしまうと、
「今度は、わてがあんたの面倒をみる番や。
あんたひとりくらい、わてがパンパンしても食わしてやるわ」
といった夫唱婦随の面を見せます。実に羨ましいかぎりです。
夫婦で力を合わせて生きてゆく、ということでさらに絆が深まる。
実は、この映画、タイトルは「極道」というまがまがしさですが、
内容では男女の関わりが多く描かれています。
若山親分と女房の清川虹子、
また彼の身代わりに亡くなってしまった男の未亡人、
刑務所帰りの鶴田浩二と彼を慕う医者の娘・・・・。
そのほか、菅原文太が子分の役で登場しています。
最後に怒り心頭の若山親分に向かって、鶴田浩二が云うひとこと。
「我慢できないことも我慢せにゃいかんのが、極道や」
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「広島にやくざはふたつもいりゃあせんのじゃ」
「仁義なき戦い 広島死闘篇」(第2作)その2 1973年。監督 深作欣二。脚本 笠原和夫。出演 菅原文太、北大路欣也、千葉真一。
昭和30年の広島の村岡組と大友組の抗争の中で殺人マシンと化したひとりの若者 山中正治(北王子欣也)の生き様を描いた作品です。
本作でも、名セリフは続出です。
このセリフも、大友勝利(千葉真一)のセリフです。
広島にやくざは、ふたつ(村岡組、大友組)はいらない、ということを云っています。
すなわち、ひとつの場所では、組織は複数共存できない。
ビジネス的に云い換えれば、ひとつの市場に複数の製造メーカーは
共存しない、いらない、ということになります。
企業が繁栄するためには、製造メーカーが1社であることは
望ましいことですが・・・
「Win Winの関係」、「共存共栄」という言葉もよく使われますが、
実は、そうなった試しはありません。
その場合は、自身がいずれにつくかで命運が決まります。
心して組しなくては、いけません。
そのほか、村岡組の幹部である松永弘(成田三樹夫)が
山中にささやくように助言するセリフも決まっています。
こちらは、本作をご覧になってのお楽しみでしょうか。
最後に脱獄し、自殺に向かうプロセスで、
村岡(名和 宏)に懇願する山中(北大路欣也)のセリフを。
「なか(刑務所)の暮らしいうたら、
生き恥さらすような毎日ですけん、
生きた骸(むくろ)で20年待つより、
償いに死に花、咲かさしてつかぁさい」
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「男が怒るときは、生涯に一遍きりだ。
みんな、それを忘れずやってくれ」
「網走番外地 望郷篇」(第3作)1965年。監督・脚本 石井輝男。
出演 高倉 健、嵐寛寿郎、桜町弘子、杉浦直樹。
「網走番外地」第3作にして傑作といわれるのが本作です。
橘真一(高倉 健)は、長崎の沖仲士の旭組の組長の旭(嵐寛寿郎)に仕事の采配を任されます。
その席で、対立する安井組にいちゃもんをつけられても黙っている橘を腰抜けと云い、不服である待田京介らに向かって親分が云うセリフです。
旭組長を殺され、橘は、
「親分も今度だけは、許してくれるでしょう。
親分も怒るのは、一生に一度。今度だけは・・・」
といい、安井組に殴りこみにゆきます。
そして、BGMで網走番外地の歌が流れます。
昨年から、米国のサブプライムローン破綻に端を発した世界同時株安、代わりに円が評価された結果の円高で、輸出不振という不況の連鎖が起こり、今年も回復するか否か不明です。
世の中の人々は、怒ることもいろいろあるでしょう。
株で損した、派遣企業から解雇された等々。
しかし、よく考えてみてください。
それらは、自分自身が選択した道でもあるはずです。儲けようとして、株に投資した、または、現在の社会システムでは不況になれば、派遣社員は真っ先に切られます。
それらのすべてに自身も同意して関わってきたのではないでしょうか。ただし、やむなくかもしれませんが・・・
と、思って、怒ってはいけません。
本当に怒らなければいけないことは、そんなことでは、ありません。
きっと生涯に一度怒ることがあるかないか、ではないでしょうか・・・
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4月から、(独)中小企業基盤整備機構の新現役チャレンジ支援事業 栃木事務局のナビゲータを担当させていただくことになりました。
新現役チャレンジ支援事業は、企業を退職された方、または退職を予定されている方の永年の企業勤務で培ったスキルを地域の中小企業の課題解決に生かして、地域の発展に貢献していただく目的の事業です。
ナビゲータは、中小企業の抱える課題とその解決に最適なスキルをもつ新現役のマッチングを行います。
◆さまざまな課題を抱えた企業の皆様
◆企業を退職され、地域の企業に貢献したい皆様
ぜひ、上記に該当する方は、お気軽にご連絡ください。
>> 連絡先 新現役チャレンジ支援事業 栃木事務局
(足利商工会議所内)
TEL : 0284-21-1370 FAX : 0284-21-6294
URL : http://shingeneki.smrj.go.jp/
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秋津親分
「加代、さぞ冷てえ親だと俺を恨んでるだろうな。
たった一日でもおめえを看病してやりたかった。
こんな親でも死ぬ前に会いてえと思ってくれたお前の気持ち、
お父っつあん、心底嬉しかったぜ」
竜三
「今度生まれてくるときは、
同じ星のもとに生まれてきましょうや。
美枝、俺のことなんか忘れて、幸せになあ」
「昭和残侠伝 一匹狼」(第3作)1966年。監督 佐伯清。
脚本 松本功、山本英明。出演 高倉健、池部良、藤純子。
「昭和残侠伝」は、東映任侠映画の代名詞ともいえるシリーズです。
なかでもシリーズ3作目の本作は、屈指の名作です。
筆者の中ではシリーズベストともいえる作品です。
流れ者の桂木竜三(池部良)に親分を殺害された関東島津組の武井繁次郎(高倉健)が殴りこみにゆくオープニングから、ふたりの因縁が始まります。そして、その因縁は、漁師町である銚子でさらに新しい因縁が生みます。
そういった因縁を縦糸に話が展開し、桂木竜三の妹であり、15歳で奉公にだされ、今は呑み屋を開いている美枝(藤純子)との恋を横糸に、義理と人情の濃密な世界が展開します。
繁次郎は、肺病で死んだ子分の女房であり、
同じ病の加代(扇千景)を父親の元に連れて帰ります。
その父親は、銚子の潮政一家の親分でした。
かつての確執から縁をきった親娘は溶ける間もなく、
加代は死んでしまいます。
最初のセリフは、その墓前で父親である秋津親分が語るものです。
潮政一家と力ずくで漁師を囲いこもうとする川銀一家。
その川銀一家に竜三は草鞋を脱いでしまい、
過去の因縁もあり、何度か繁次郎と竜三は対決することになります。
ラストシーンでは、川銀一家の振る舞いに堪忍袋の緒が切れた繁次郎と竜三が殴りこみにゆきます。舞台が海辺ということで、ふたりの殴りこみの道行が海岸という珍しい作品です。
殴りこみで傷を負った竜三が繁次郎と美枝に今わの際に語るのが
次のセリフです。このほかにも、兄、妹の情感あふれるやりとりは、
本作の随所で語られます。
親娘の絆も、兄妹の絆も、離れて暮らしていようとも、
心の中では、しっかりと結ばれていて、切ろうとしてもきれない。
そんな因縁を引きずって、人間は、生きてゆくことになります。
親となったのも縁、子となったのも縁。その縁をしっかりと感じながら、生きてゆきたいものです。
本作には、他にも名セリフがちりばめられており、
任侠の世界に浸ることができます。
それでは、ラストシーンでの加代のセリフ。
繁次郎と竜三のふたりの間で翻弄している美枝が
やくざの義理の世界に対し、思いのたけを打ち明けます。
加代
「そんなことのために命のやりとりをしなきゃいけないの・・・」
繁次郎
「あっし達には渡世の義理ってもんがあるんです」
加代
「馬鹿よ、あなたも兄も・・・」
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「なにが博奕打ちなら!
村岡が持っちょるホテルは何を売っちょるの、
淫売じゃないの。
いうなりゃ、あれらはおめこの汁で飯食うとるんで。
のう、おやじさん、神農(てきや)じゃろうと
博奕打ちじゃろうとよ、わしらうまいもん喰ってよ、
マブいスケ抱くために生まれてきとるんじゃないの」
「仁義なき戦い 広島死闘篇」(第2作)その1 1973年。監督 深作欣二。脚本 笠原和夫。出演 菅原文太、北大路欣也、千葉真一。
昭和30年の広島の村岡組と大友組の抗争の中で殺人マシンと化したひとりの若者 山中正治(北大路欣也)の生き様を描いた作品です。
「仁義なき戦い」シーズの主役である広能幸三(菅原文太)は、
本作では狂言回し的役割となっています。
従って、「仁義なき戦い」の集団抗争劇としての魅力はないのですが、戦争で取り残された、ひとりの若者を描いたドラマとしては、
異なる魅力があり、映画的ドラマトゥルギーに満ちた作品となっています。
時代は、「仁義なき戦い」第1作から遡り、昭和30年、舞台は、広島。やくざの村岡組とテキヤの大友組が対立していた中、食い詰めた若者が村岡組に入り、時代や組織に振り回され、最後は自殺する過程を描いてゆきます。
セリフは、大友組の組長(加藤 嘉)に向かって、その極道息子である大友勝利(千葉真一)が村岡組との喧嘩を開始するにあたり吐くものです。親子の縁を切って、まっしぐらです。
大友勝利は、本作の中で破天荒な行動で迫力があります。
千葉真一のベストの演技では、ないでしょうか。
また、山中と愛しあい、所帯をもつことになる、村岡組長(名和 宏)の姪で特攻隊員の未亡人靖子を演じた梶芽衣子も素晴らしい。この時期、彼女は「女囚さそり」シリーズで絶頂期でした。
「仁義なき戦い」シリーズでは、女ができると死ぬ運命にあります。
靖子と愛しあう山中もしかり・・・
このセリフでは、女性を人間として捉えていません。
この世界で生き抜くためには、純粋に生きようとした人間は、死ぬ運命にあります。そして、権謀術策を持った男が生き残ってゆきます。
というと、権謀術策を肯定しているように聞こえるかもしれませんが、
それをもつ人間たちと戦うには、こちら側もそれに対する策をもって、
あたらなければなりません。
権謀術策に負けずに、純粋に生きることができるとよいのですが・・・
かなり過激なセリフですので、批判もあろうかと、思いますが、
一面真理でもあります。
ここにきて、以前の仁侠映画の「仁義」は完全に否定されました。
最後にもうひとつ名セリフを。
キャバレーで広能と警察に追われた山中が会うシーンで
キャバレーの女が山中の腰の拳銃を見つけ、
「これなんね」
「これか。わしのゼロ戦や」
山中は、人を殺した後、あの予科練の歌である「若鷲の歌」
(♪ 若い血潮の予科練の七つボタンは、桜に錨・・・♪)
を口笛で吹きます。そのかすれた音色が、心に残る作品です。
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